こんにちは、ありすです。
突然ですが、私実は産後うつになりかけたことがありました。
今回はその時の経験を通して形成された私の子育て観と私の思いについて、少しお話ししたいと思います。
目次
スポンサーリンク
なるべく楽に子育てしたい
私、子育てではなるべく楽をしたいと思っています。
といっても、ママっていう生き物はいくら「楽していいんだよ」「周りを頼っていいんだよ」って言われても、子供のことに関してはどうしても頑張ってしまうところがある。
これは私も同じです。
なので楽というか、なるべくならせめてママが「しんどくない」ようにやっていきたい。
これは常に思っていることです。
なぜなら、
「ママがしんどくない=ママの笑顔が増える=子供にとっても幸せ」
だからです。
ここからは私自身についての話を少しさせてください。
私自身はそもそも30代後半の高齢出産で第一子を出産しました。
若いママに比べたら体力面で劣っているし、元々のキャパも狭くてすぐにしんどいって言ってしまいがち。
そのくせ性格的に完璧主義傾向がある。
このように子育てに向いてないんじゃないかフラグが立ちまくっていましたが、幸運にも赤ちゃんを授かったし、なるようになるだろう精神で出産しました。
実は私は妊娠中はとても体調が良く、つわりも全くなく、初めから最後までとても元気な妊婦生活を送っていました。
なので、産後に待ち受けているものを想像すらしていなかったです・・
出産後に待ち受けていた試練
無事に娘を出産し、産院での数日の入院を経て退院するまでは特に母体の回復も問題なく順調に過ごしていました。
ですが、退院して自宅に帰ってからすぐに、どんどん体調が悪くなりました。
まず帰った当日、お産の傷がものすごく痛み出してしまったんです。
帰宅後は、産院から持ち帰った荷物を片付ける程度しか動いていませんでした。
それでも少し動いたのが影響したのか、会陰の傷が痛み出したんです。
出産からまだ数日なのでもちろん通常の状態でも傷はまぁまぁ痛いのですが、それとは全く別レベルでの痛みでした。
少し動いただけでも針を刺すような、ビリビリした痛みを感じるように。
ものすごく痛くてほとんど動けなくなってしまったので産院にも連絡しましたが、傷が開いていると言うことは絶対にない、体を動かすとあることなので安静にするしかないと言われ、数日間は授乳の時だけは起きて、それ以外はほとんど動けずに過ごしました。
実母が手伝いに来てくれていたからなんとかなったものの、安静にしていても時折痛みがあったので、本当に辛かったです。
会陰の痛みが治まるか治まらないかくらいの時に、今度は乳腺炎になりました。
夜中にものすごい寒気と高熱で目が覚めて、とりあえず体温計と解熱剤を探そうとしたんです。
ところが体は文字通りフラッフラの状態。部屋の中を少し移動しようとしたところ、ばったーんと倒れました。
倒れた時の音で夫が起きて対処してくれたのでなんとかなりましたが、これも本当にしんどかったです。
このあとも、尋常でないレベルで脚がむくんで本当に像の足のようにパンパンになったり、頭痛が1ヶ月近くずっと続いたりと、ただでさえ産後のボロボロの体に輪をかける絶不調。
加えて3時間ごとの授乳で夜もまともに寝られない生活、そもそも初めてのことだらけで不安ばかりの赤ちゃんのお世話。
正直産後2〜3週間の頃は本当に体がしんどくて、そこから精神的にも疲弊してしまい、ほんとうにぎりぎりの精神状態で毎日を過ごしていた感じです。
そんな時、今思えばなんてことは無いのですが、娘がいつもよりも派手にミルクを吐き戻したことがあったんです。
たまたま吐き戻す瞬間を目撃してしまい、いつもよりもだいぶ量が多かっただけで通常の吐き戻しとわかっていても、怖くて怖くて。
もうしんどくてぎりぎりの精神状態だった私は娘に駆け寄って対応しながら涙が止まらなくなり、そのまま号泣しました。
実母が来てくれていた時だったので一緒に対応してくれましたし励ましてくれましたが、もう育児を続けていく自信がない、できる事ならもう辞めてしまいたいと本気で思いました。
また同じ頃、どうしても体が辛くて1日夜中の授乳対応を夫にお願いして休もうとした日がありました。
夫も引き受けてくれて対応してくれていたのですが、結局寝ようとしても赤ちゃんが泣く度に声が頭から離れなくて、心底疲れているのにほとんど眠れず。
それでも体が限界なので起きて対応はできないし、かといって泣き声が気になって寝たいのに眠る事もできない。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、この状態が当時のわたしにとってはほんとうに地獄のように辛かったです・・。
当時マンションの10階より上の階に住んでいたのですが、
「もうこの状態から楽になるには、そこの窓から飛び降りるしかないんだろうな」
という考えが一瞬頭をよぎりました。
でも「そんなことしたら娘の面倒を毎日見る人がいなくなって娘が不幸になってしまう」と思ったので一瞬思っただけで済みましたが、このような考えが頭に浮かんだのは生まれて初めてでした。
本当に私は今深刻な状態になっていると感じましたし、世の中で産後うつで命を絶ってしまうお母さんがいることは不思議な事ではないと感じました。
こんなぎりぎりの疲弊した精神状態だと、娘に話しかけたり笑いかけたりといったことすら難しくなってきていました。
私は娘が産まれてすぐの時から、なるべく娘に話しかけたいと思っていて、実際にそのようにしていました。
ですがあるとき、娘を沐浴させているときにふと笑顔がでなくなってしまっている自分に気付きました。
笑顔はもちろん、ほとんど語りかけることもできなくなっていたんです。
その時に、「そろそろ私ほんとうにやばいな」と思ったのを覚えています。
「子供がかわいい」だけでは乗り越えられないこともある
申し添えておきたいのは、育児に疲弊していたからといって娘が可愛く思えなくなっていたわけではありません。
むしろ、娘は本当に大切で可愛くて愛おしくて、疲れてしまっていた時もそのことは全く変わりませんでした。
ただ、本当に大切でかわいいけれど、その気持ちだけでは乗り越えられないくらいに疲れてしまっていたんです。
むしろ、目の前にいる娘はこんなに可愛いのに、それでもとてもしんどいと感じてしまうことが辛くて悲しくて、そんな自分が嫌で、余計に精神的に追い詰められて泣いたりしていました。
「赤ちゃんが可愛いから辛いことも頑張れる」、という場面もあるとは思いますが、それだけでは乗り越えられないくらいに疲弊してしまうことが育児ではあると思っています。
ちょうどその頃に、行政の保健師さんの新生児宅訪問があり、私の状態を見た保健師さんが産後ケア施設の利用ををすすめてくれました。
その産後ケアを利用することがきっかけで、また実家にも頼ったりすることで少しずつ回復していくことができましたが、私はこの自分の経験を通じて「お母さんが育児で疲弊してしまうと赤ちゃんにダイレクトに悪影響があると感じたのです。
「お母さんが育児でしんどくない」ということの重要性を再認識しました。
ママは幸せでいなければいけない人
赤ちゃんといつも一緒にいるのはお母さんなので、お母さんが元気でないと赤ちゃんも元気に過ごすことができなくなってしまいます。
お母さんと赤ちゃんは本当にとても強い繋がりがあるからです。
赤ちゃんのためにもお母さんは幸せで、笑顔でいなければいけないし、そのためには育児においての「しんどい」をなるべく減らすことが重要だと思うんです。
幸せもいっぱいだけど、(特に一人目の子供だと初めてのことで)大変なことがもしかしたらそれ以上にいっぱいの育児。
ママが育児においての「しんどい」を減らす=なるべく楽をするって、最重要項目かもしれないと思うほどです。
ママが楽をするためには色々な方法があると思います。
パートナーが育児参加することは大前提ですが、他には例えば、
・お掃除ロボットや時短家電を使うこと
・ミールキットや宅配食を活用すること
・行政や地域のサービス(家事のヘルプや一時預かりなど)を利用すること
など色々あると思います。
ここに私が付け加えたいのが、離乳食期には「BLW離乳食を取り入れること」!
BLW離乳食は「ママが楽をするために考案されたもの」ではありません。
ただ、赤ちゃんにとってメリットが大きく、ママも通常の離乳食に比べて様々な点において精神的に「楽」でいられる方法だと思います。
赤ちゃんが食事を経験していく上でさまざまなメリットがある離乳法で、なおかつママもちょっと楽できる。
(もちろんBLWにも大変な面はありますが、通常の離乳食に比べると多くのママが「楽」と感じることが多いと思います。)
こんな素晴らしいもの、知っていればやらない理由がない!と個人的には思っています。
「離乳食鬱」という言葉があるくらい、通常の離乳食で大変な苦労をするお母さんは多いと聞きます。
どうせやるなら少しでも楽に、赤ちゃんにとっても楽しく離乳食をしたいと思いませんか?
だって大切な我が子のにとって「食事をする」という一生続く行為の、初めの一歩なのですから。
それにまつわる思い出が、母親にとっても子供自身にとってもポジティブなものであるほうが良いに決まっています。
BLWを通して赤ちゃんが楽しく離乳食を進められるのはもちろん、お母さんも楽に楽しく少しでも負担が少なくできればいいなと思っています。
More from my site
目次
コメント